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━━ 根場民宿協同組合の歴史からお話しいただけますか。 理事長 昭和41年にこのあたり一帯が、台風に襲われました。その頃、私たちはいまの「西湖いやしの里」の辺りに約40軒が集り、 農業や炭焼きなどで生活していました。しかし台風による土砂崩れで、3軒を残し、すべて流されてしまいました。 200人未満だったこの集落のうち、63人が亡くなられました。それを機に、あの山すそでは心配だということで、 現在の地、青木が原樹海の一部の県有地を借り、40戸すべてが集団移住したわけです。 ━━ 民宿はその当時からはじめられたのですか。 理事長 はい。当時は西湖に、釣り客のほか観光客などが、ボツボツ来はじめていました。さらにここには昔、ユースホステルがあり、 結構お客さんがきていました。そんなご時勢を考え、「これからは民宿でいこう」ということになりました。 とはいえ、それまでは全員が農家で、いわゆる客商売をまったく知らなかったわけですから、最初は大変でした。しかし県の指導などを受けながら、 なんとか開業することが出来ました。さらに,「災害から立ち上がり、民宿を経営」などと、NHKをはじめ数々の報道機関が取り上げ、宣伝してくれました。 また農家上がりの素人の素朴なサービスと、家庭的な料理が受け、お陰さまで結構多数のお客さまにお越しいただくことが出来ました。 組合は1970(昭和45)年に任意組合として誕生し、1988(平成元)年に協同組合として法人格を持つことになりました。 ━━ その後も、民宿経営は順調でしたか?
━━ 何故、体育館なのですか。
━━ 最近は富士五湖周辺にはホテルやペンションなど、色々は宿泊施設がありますが、その中で民宿の魅力は?
事務局長 実はヒメマスは西湖が南限なのです。富士五湖でも水深が深い西湖と本栖湖にしかいませんが、その南限のヒメマスをここでは食べられるわけです。 ━━ ところで余談ですが、西湖と本栖湖が底でつながっているという話しもありますが。 理事長 公式的にはつながっていないことになっています。県も学者もはっきり「つながっていない」と言明しています。 しかし西湖、本栖湖、精進湖の生い立ちを見ますと、もともとは3つの湖は「瀬の海」という1つの湖でした。 それが最初の噴火で本栖湖が分かれ次の噴火で精進湖と西湖に分かれた。ですから下でつながっていてもおかしくありません。 現に西湖の水を河口湖に落とし、西湖の水面が下がると、必ず本栖湖の水位も下がる。両方の湖の水面は何故か常に同じですねえ。 ━━ ところでホームページを拝見すると、宿泊客に対しての「自然体験プログラム」が充実しているようですが・・・
━━ その中でも、やはり青木が原が主役ですか。 事務局長 そうですね。でも、青木が原を知らない人にとっては、まだ青木が原は怖いところでしかないようです。 中に遊歩道があって自由に歩けるんだということを知らない人が多いですね。テレビの番組などでも、ちょっと入っていくと、 自殺者がごろごろしているような作り方もしますしね。怖い森というイメージが定着しています。その青木が原の本当の姿と、 豊な自然を子どもたちに体験していただければと、常々思っているのですが。 ━━ 最近、世界遺産の暫定登録リストに載るなど、何かと富士山が話題になりますが、現場にいらして、富士山を取り巻く現状をどうお考えになりますか。
理事長 以前は、まさに野放し状態で好きなことをしている、といった感じでしたが、いまは地元の人はもちろん、登山される方も、
環境に配慮された行動をしているのではないでしょうか。ゴミなども以前に比べればもう捨てる人もいなくなりました。
組合では以前から湖畔や道路沿いの清掃を月1回、4月から10月まで、毎月30日にやっています。各自がゴミ袋を両手に1つずつ持って歩くのですが、
以前は1時間もしないうちにそれがいっぱいになってしまいました。しかしこの5,6年はゴミを探すのが大変になるほどで、
いまでは5、6人でやっと袋1つがいっぱいになる程度にまで変わりました。やはり環境に対する意識が、かなりよくなりましたね。 ━━ ところで、富士山クラブがもりの学校をお借りするにあたって、多大なお世話になったと聞いておりますが。 理事長 もりの学校は、先ほどお話しした、台風で被害を受けるまでは、旧足和田村立西浜小学校・根場分校だったのです。 余談ですが我々二人もあそこで6年間学びました。それが災害を機に本校に統合され廃止されました。あの土地そのものは根場地区のもので、共有地なのです。 そんな関係で廃校と同時に、建物も村から地区に払い下げになりました。その後、一時は放置されていたのですが、 ある人が、「宿泊施設に」と10年ぐらい借りた後、縁あって富士山クラブにお借りいただいたわけです。 ━━ その富士山クラブに対するご提案、ご意見はございますか 事務局長 野口健さんがもりの学校の校長になられ、組合にも何回かおいでになりました。そのとき、「夏場は富士山クラブが根場の民宿をいっぱいにしますよ」なんてお話もありました。まあ、その言葉を待つまでもなく、もりの学校があそこにあるということで、どうしても組合としては、そういうことを期待してしまう。それはともかく、これからは夏休みの催し、親子の体験教室など、共同で企画できたらと常々思っています。 |
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